倒産回避:これだけは伝えたい! 三橋経営研究所サイトマップ

私の場合:最悪のケース2

これが俺の人生だというのなら、もう何も未練はない、無くなったほうがよい人生だ。 今まで脳裏にへばりついて離れなかった、倒産をしてしまったときの情景;取引先の顔、銀行、債権者たちの顔、従業員、家族、保証人になってくれた人達の顔顔顔、、、

ただ、今は恐怖感よりも虚脱感のほうが大きかった。

景色が透明に見えた。倒産直後からのことは、項を改めて書くことにするが友人の紹介で事後処理を委託した弁護士が、かなりおっとりしているというかイージーというか、再起のための売掛金の回収などは随分と取りっぱぐれたが、今思えばよい人にめぐり合ったと思っている。その人が言ってくれた言葉"今は唯生きていればいいんですよ、体に力がわいてくるまで何年かかかるでしょう"

創業当初:15年前まったくゼロからスタートし、産直の海産物をスーパーの店頭、デパートの催事場で売りまくった。

創業3年:海産物問屋としてあちこちの量販店に納品し、あちこちのデパート、駅ビルなどに店舗も持った。

創業7年:移動販売に先鞭をつけ150台の冷凍車で売りまくった。

創業8年:麺と寿司をドッキングしたレストランのチェーン店を展開した

創業して10年:(43歳になっていた。)年商約40億円、パートも入れると従業員数410名。3年後には100億にして、店頭に上場するんだと本気に思っていた。

ただただ突っ走ってきた。

新聞などでも大幅な人員増を図った。そして、その中に、あの男がいた。ロマンスグレーの穏やかな風貌、年商100億ほどの建設会社で経理担当役員をやっていたというふれこみであった。的確な資金繰り、金融機関などからの資金調達のうまさ、制度融資などの知識、金融関係の顔の広さ、人あしらいのうまさ等、当時の会社にとって一番欲しかった人材と錯覚した。3ヶ月を過ぎたあたりから彼の言葉と、結果の事実の齟齬が現れ始めた。半年を過ぎたころ、この男は天才的な詐欺師ではないかと気づき始めた。数十枚の手形が行方不明になっていた。

複雑な経過をたどったがこの8ヵ月後に会社は倒産したのだった。

あれから15年以上がたつが、三木は国内の仕事はあえて避け、何の知識、経験があったわけではないがNHKの英会話からはじめて、貿易の仕事をして現在に至っている。倒産以前、多数の車を買っていたことからトヨタのセールスマンとは親しかった。「中古車の輸出は儲かるようですよ」という彼の一言が妙に頭に残っていた。

つてをたどってスリランカのマーケットから商売がスタートした。仕入れのためにオークションにも顔を出すようになり、仲のよい中古車業者が出来た。酒の席で彼らの悩みを聞き、後継者不足等で会社を売りたいという話等も、税理士、不動産鑑定士、弁護士、公認会計士などを手配していくつか世話をしてあげた。当時はM&Aだのレーマン方式という手数料の相場のことも知らず、ゴルフといっぱいおごってもらうことで話は済んでしまった。そういった口コミのせいであろうか、経営上のいろいろの相談がくるようになった。

私は学生時代に独学で司法試験を目指してゼミに所属し択一試験には2年連続して合格していたこともあり、いささかのリーガルマインドは持ち合わせていた。また、公認会計士の二次試験の受験経験もあり、簿記、財務諸表、原価計算、経営学などの雑知識も持ち合わせていたので、彼らの相談相手としては適任であったようだ。当然、このままでは倒産するしかないといった会社の相談も多々あった。かなりのケースでは、まだまだ打つ手はあった。ただ当座の打つ手があるということと、このまま会社を継続すべきかとは別問題である。どうしょうもならずに、倒産したケースもあったが、再起のための面倒を見たこととも少なくなかった。

思えば三木の場合は、最悪の倒産の仕方であったようだ。ぎりぎりまで頑張ったために、彼の家だけではなしに、父の家まで取られる羽目になった。経理の責任者に裏切られたためにあらゆるルートからの借り入れが錯綜して混乱を極めた。特にわけのわからない街金、明らかにその筋という裏金融からの借り入れ、証拠を隠滅するためであろうか、大事な経理書類の散逸など、これ以上の混乱はないというほどわけがわからなくなっており且つ、危険であった。三木の家と父の家に2組のやくざが占拠で鉢合わせを演じ、片方では発砲騒ぎがあった。何組かの暴力団は三木の身柄確保に動き、そのうちの一件の暴力団事務所に監禁された。さまざまな脅迫、恐喝などを受けたが、当時の三木は殆ど痴呆症のような状態で、4日も5日も何も食わず、夜は寝ぼけて床の間に小便をするなど、いくら脅しても全く金にならないのと、奇矯な行動をもてあまされ、有り金を全て取られて放り出された。

それからの数年は唯、夢遊病者のように生きた。

幸い、事態を察した妻と母は協力して郊外に一件の家を借りておいてくれた。この家の二階の一室で、風が吹くとおびえ、電話の音が鳴るとおびえ、人が尋ねてくるとおびえて暮らした。唯、生きているだけだった。今までどんな苦しい時でも、給料を一日でも遅らせたことは無かった。取引先にもきちっと払ってきた。火の玉のようになって困難に当たれば必ず克服できた。不可能なことなんか無いんだ。大風呂敷も、必ず自分でつじつまを合わせてきた。だが、その風呂敷が破れてしまった。何よりも自分自身が信じられなくなっていた。

妻の買い物に付き合っても、何が食べたいのか、おかずも自分で決められなかった。 弁護士が言ってくれた一言"今は、ただ生きてさえいればよい"今しみじみありがたい言葉だったと思っています。人生にはそういう時があってもいいんだということです。時間しか解決できないことがあるのでしょう。

小林秀雄でしたでしょうか、大人になるということは時間に対して賢い対処が出来るようになることだ、といったような言葉があったと記憶していますが、最近まさに至言であると思います。我々は時間そのものを正確に認識することは出来ません。多くの場合は時計のように空間的に文字盤の動き等によって認識します。大きく心が傷ついたとき、多くの時がたったと思いたくなるのでしょうか、人は遠くに旅に出て違う景色に出会うことによって、時の経過を確認したくなるのかもしれません。私もほぼ2年間に渡る、痴呆症のような精神状態から、今までと全く景色の違う仕事を始める事によって立ち直りのきっかけを掴むことになったのです。

長い前書きになってしまいましたが、経営危機に陥った経営者の悩み、苦しみは誰にも相談することも出来ないものです。うっかり相談した相手から危機情報が漏れて風評倒産をした例もあります。弁護士、税理士の先生方もどれだけ親身の対応をしていただけるか?また中小企業の倒産の現実、経営者の苦しみをどれだけわかって適切なアドバイスが出来るかは未知数です。大手はいざ知らず、零細、中小の企業の経営危機の相談は孤立無援で数々の修羅場を潜り抜けてきた者にしか勤まりようはありません。

取り立てて語るほどの経歴も、資格もありませんが、1965年来35年以上も数々のビジネスを立ち上げ、手痛い失敗とささやかな成功に支えられて今日までまいりました。未曾有の経済不況と首吊りの足を引っ張るような政策、銀行、大手企業の不始末、これらのとばっちりを最も受けるのは、戦後の日本の経済の底辺を支えてきた中小企業です。倒産に直面した経営者のつらさは痛いほど良くわかります、しかし決して夜逃げをしたり、間違っても自殺を考えたりしてはいけません。たかが金で死んではいけません。一日の労苦は一日にして足れり、我々は今日一日せいいっぱい生きることしかできないのです。

Tomorrow is another day. 明日は明日の風が吹く

まだ間に合うかもしれません。一日も早く再起のための決断と行動をお勧めします。


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